長谷寺の歴史

宗教法人 長谷寺

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浄土宗黒川長谷寺は正式には「玉林山観音院長谷寺(ぎょくりんさんかんのんいんちょうこくじ)」といいます。

その創建については、最も古い由緒書(『蓮門精舎旧詞』元禄9年(1698))によると「開山は浄土宗の僧物道(経歴不詳)」、永禄年中(1558~1570)室飯村の城主島津権六郎がその伯母(法名宝誉玉林)の善提を弔うために創建した」と書かれています。
「室飯村の城主」とは牟礼の矢筒城を指すものと思われます。
また異説(『黒川村誌』明治14年(1881)成立)では「伝承では天徳3年(959)真言宗の僧が黒川の北方山腹に玉林山観音寺を創建、のちに衰退したものを大永5年(1525)に矢筒城主島津権六郎が伯母の善提を弔うために村内へ移転、再建して玉林山観音院長谷寺と改称した。その際、相州(神奈川県)鎌倉光明寺の僧物道が善光寺参詣したのを機に開山となり浄土宗に改めた」とあります。
この説を裏付けるように、現在黒川北方の山を字玉林寺といい、その中腹に寺跡という平地があります。
しかし、いずれが事実かは不明とせざるを得ません。

浄土宗として十八代の住職を重ねた弘化4年(1747)、3月に発生した善光寺地震で長谷寺は大いに破壊し仏像・仏具も失われました。
時の住職高誉空顕(こうまくうけん)は、檀家や黒川村内外の住民、寺子屋の門人らの助力を得て再建に尽くし、本堂・鐘楼門を建立、仏像・仏画などを調えました。
現在の長谷寺はこのときの再建が基になっているといえます。

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